2011年10月29日土曜日

エピクテートス 07 船長はどこにいる?


エピクテートス


[7]


https://youtu.be/qmCUkkpUAwI





エピクテートス提要 07


船長はどこにいる?


以下の文中の「提要」の和訳は岩波文庫『人生談義・下』(鹿野治助)からのものです
* * *

ケンガイ:エピクテートスの「提要」の7番をお願いします。
ケンナイ:7番は:「航海の途中船が着陸した時、もし君が水汲みに下船するならば、君は途中道草をくって小さな貝殻や小さな球根を拾い集めてもいいが、心を船のほうへ向けて、船長が呼びはしないかと絶えず振り返るべきである。」とあるね。本題の水汲みをしようと思って、貝殻・球根集めになってしまうのは、よくあることだね。
ケンガイ:会社の仕事が、出世競争になるようなものですねえ。
ケンナイ:どうして入社したの?
ケンガイ:生活のためですよ。
ケンナイ:生活って何?
ケンガイ:給料をもらって、衣食住をまかなうことでしょうね。
ケンナイ:衣食住をまかなえるなら、会社に行く必要は無いわけ?
ケンガイ:それはそうでしょうねえ…
ケンナイ:まず「衣」だけれど、もうたくさん持っているんじゃないの?
ケンガイ:そうですねえ、歳も歳ですから、新しいものを買わなくても、ほぼ間に合うでしょうね。
ケンナイ:じゃあ「食」は?
ケンガイ:毎日買わないとやっていけませんね。ペットたちの分を含めて。
ケンナイ:「住」は?
ケンガイ:もうすぐローンも終わりそうです。
ケンナイ:そうすると、「食」が問題になるわけだね。
ケンガイ:子供たちの教育費なども有りますが、衣食住について言うとそうですね。
ケンナイ:そうすると、「食」のために働き続けているようなものだね。
ケンガイ:まあ、そういうことになりそうですね。
ケンナイ:「食」のために何十年もサラリーマンをやってどうだった?
ケンガイ:むなしいですね。
ケンナイ:途中でやめたくなったりしなかった?
ケンガイ:何度もやめたいと思いましたよ。
ケンナイ:衣食住のために働き始めて、仕事が嫌だった人生かね?
ケンガイ:なんともツマラナイ人生でしたが、たいていの人はそんなものじゃないですか?
ケンナイ:ああそおお?
ケンガイ:あなたはいかがでしたか?
ケンナイ:勤めたことが無いからなんとも言えないけれど、好きなことをしてきただけの人生だね。
ケンガイ:うらやましいですねえ。好きなことをやってきて悠々自適だなんて。
ケンナイ:悠々自適かどうかは知らないけれど、アートマヴィチャーラ ātma-vicāra(思いの出所の探究)だけが一大事だと思って、この余生を生きているだけだよ。
ケンガイ:でも畑もしているでしょう?
ケンナイ:農あるヨーガ生活とアートマ・ヴィチャーラ Atma-vicAra(思いの出所の探究)は、ワシにとっては一体だよ。
ケンガイ:畑は食のためと趣味を兼ねてのものではないのですか?
ケンナイ:ヨーガヴァースィティの用語集で、農あるヨーガ生活の定義を読んでごらん。あなたが思っているような趣味の菜園をやっているわけではないよ。
ケンガイ:私は定年退職後は、趣味の菜園をしながら瞑想もしたいなあと思っているのですが…
ケンナイ:趣味の菜園と趣味の瞑想や坐禅も悪くはないさ。
ケンガイ:農あるヨーガ生活は別だとでも言いたそうですね?
ケンナイ:まあ、エピクテートス先生の言葉の続きを見てみよう:「そしてもしも呼ぶならば、羊のように縛られて船に投げ込まれることのないように、それらすべてを放棄すべきである。人生においてもその通りで、小さな球根や小さな貝殻の代りに可愛い妻子が与えられるならば、持っても差し支えはないだろう。だがもし船長が呼ぶならば、それらすべてを放棄し、心惹かれずに船に急ぐがいい。だがもしも君が老人であるならば、呼んだ時決して置き去りにならぬように船から遠く離れぬがいい。」あなたも可愛い妻子という貝殻・球根を得たわけだ。
ケンガイ:最初は可愛いと思ったんですがねえ…子供だって可愛いのは初めのうちだけで…
ケンナイ:お互い様だろうからね。
ケンガイ:はあ?
ケンナイ:伴侶も、「最初はいい人だと思ったのよ…」なんて思っているんだろうからね。
ケンガイ:お互いに相手を粗大ゴミだとか使い捨て雑巾ぐらいに思うようになるのが夫婦なんでしょうねえ…
ケンナイ:それはともかく、人生の航海の船長を知らないのが問題だよ。
ケンガイ:船長はどこにいるのですか?
ケンナイ:あなたが知らないお方ではないだろうよ。
ケンガイ:会社の社長ではないでしょうし、伴侶や子供でも有り得ませんから…
ケンナイ:もっと身近なお方だよ。
ケンガイ:もっと身近な人はいませんよ。
ケンナイ:あなた自身はどうなの?
ケンガイ:そりゃあ身近もいいところですが、私が迷える旅人ですから。
ケンナイ:迷っているのは「考える人」だよ。
ケンガイ:私のことですか?
ケンナイ:うん。でもあなたに限らず、「考える人」はみんな迷える旅人だよ。「考える人」は船長の命令を無視して、下船しては道草を食うのが好きでね。
ケンガイ:私の人生は道草だというのですか?
ケンナイ:考え事を食べるのが道草だよ。
ケンガイ:でも誰でもそうではありませんか?
ケンナイ:無心無我の真理の覚智現成者は違うさ。
ケンガイ:無心無我なんて可能でしょうか?とても信じられません。
ケンナイ:「信じない」というのも考え事にすぎないさ。
ケンガイ:あなたは信じているのですか?
ケンナイ:信じるとか信じないとか「思わず」に、無心無我の真理の覚智現成者を完全に受容しているよ。ラマナマハルシとかをね。
ケンガイ:ラマナマハルシが船長なのですか?
ケンナイ:船長には違いないけど、真の船長は真実在 sat (Self) だよ。だからあなたに最も親密なお方だよ。
ケンガイ:真実在はどこにいるのですか?
ケンナイ:あなたと共にさ。
ケンガイ:この私と共に?
ケンナイ:そうだよ。
ケンガイ:どこにもいませんが…
ケンナイ:あなたが探し人であるなら、それは自分意識(エゴ)さんだよ。その自分意識(エゴ)が消えた時、真実在 sat (Self) が顕現するのさ。
ケンガイ:私が自分意識(エゴ)だというのはわかりますが、それがどうやって消えるのですか?
ケンナイ:ラマナマハルシが説明してくれているように、熟眠 suṣupti 時の無心無我を目覚め jāgrat 時に覚智するんだよ。
ケンガイ:なにがなんだかわかりません。
ケンナイ:わかってもわからなくても、自分意識(エゴ)は真実在 sat (Self) からの虚出没だよ。
ケンガイ:ますますわかりません。
ケンナイ:帰りに畑のヨモギを摘んでいってごらん。家でヨモギ餅でも作ってみんなで食べたらおいしいよ。
ケンガイ:うちでは買った草餅しか食べたことがありません。
ケンナイ:生活のためにはまずお金を得て、そのお金で草餅やらなんやらを買うだけの人生が道草人生みたいなものさ。せっかく定年退職後の修行生活を考えているのなら、何度でも農あるヨーガ生活の定義をよく読んでごらん。船長はあなたと共にしかいないことを了解できるまでね。