2011年12月26日月曜日

ヨーガヴァースィティ 1.3.1 きれいな血液


きれいな血液

  1. きれいな血液の必要条件


  2. https://youtu.be/pESVkcUtyIU

    1 胚芽
    2 葉緑素
    3 海藻(塩分・ミネラルなどを含めて)

    4 日光浴
    5 適量の運動
    6 明るい気持ち(円満な五情。下図参照)
    7 平静な呼吸(円満な五情。下図参照)



    上図に関しては
    学研の『図説東洋医学・基礎編』を参照してください。


    頬紅を塗るなどの作り事をしなくても、田舎には元気な美しい頬っぺたの子どもたちがいる。成長してお化粧という作り事(造り事 fabrication)にハマルと醜くなっていく。マスコミに露出することが多いタレントたちから、お化粧・着飾り・露出などの造り事 fabrication を剥奪すれば、何が残るのか?見難いだろうね…

    飲食物の生産・提供は、きれいな血液の素材を供することに視点を置くべきだが、そのような視点でビジネスをしている会社は無い。消費者のほうの無知にも責任があるので、お金を介して汚濁血液生産互助会を結成しているようなものだろう。菜食主義を自称して、魚の内臓やら昆虫の色素が素材に使われているビールなどのアルコール飲料を呑んでいる人たちがいるが、書物やネット情報で得た知識からだけでは飲食物がどのように生産・製造されているかはわからない。生産・製造の現場をすべて見に行ってごらん。何を食べ何を飲んだらよいかわからなくなるだろう…

    過疎地域に行って散遊し、喉が渇いた時に岩清水を見つけて飲むチャンスに恵まれれば、どのような市販ドリンクよりもおいしい飲み物があることを知るだろう。おいしいものは自然が恵んでくれるもので、人間が製造しているわけではない。栽培の達人がいるにしても、種苗から土・水・空気・日光まで、自然が人間などの生きものに恵んでくれているもので、人類が製造したのではなく、人間は利用している側にすぎない。国家は献血推進に熱心だが、きれいな血液を提供できるような飲食物生産国策をしていないことに気づいていない。

  3. きれいな血液 1


    健康な人というのは、きれいな血液をしています。顔色を見れば、だいたいその人の健康度がわかるものです。毎日顔を洗うときに自分の顔色をよく観察してみてください。自分が元気そうな顔つき(表情)をしているかどうかを見てみましょう。健康な人がきれいな血をしているのなら、自分の中の血をきれいにすれば健康になる、とも言えるでしょう。現在の血がたとえよごれているにしても、血は毎日作られていくものですから、これから毎日きれいな血液を作る努力をしていけば、そのうち体はきれいな血に満たされ、健康になるはずです。

    きれいな血を作るには:1. 胚芽 2. 葉緑素 3. 日光浴 4. 明るい気もちが必要です。
    1. 胚芽は、胚芽を含んでいる穀物と豆類を適量食べましょう。
    2. 葉緑素は、季節の野菜、特に青菜(緑色をしたなっぱ)を充分食べるようにします。季節に合わないハウスものは、あまりおすすめできません。葉緑素は4コのピロール核中にマグネシウム、血色素は4コのピロール核中に鉄という化学構造になっており、マグネシウムと鉄の置換により、植物(緑)は動物の血(赤)になるわけですから、緑こそわが命とも言えます。いくら 1. の胚芽と 2. の葉緑素をとっても
    3. 日光浴が欠けていては、血液は充分な働きをすることができません。世に言う「正食」をしているという人たちが、意外と顔色がさえないのは、3. の日光浴が不充分だったり、玄米と根菜にかたよった 2. の葉菜不足のせいでしょう。
      1. 2. 3. を満たせば、きれいな血液を作ることはできますが、この血液というのは、その人の気(心)もちを敏感に反映します。せっかく 1.〜2. の努力をしても、ストレスでいらいらしたり、暗い気もちでいたのでは、血液はすぐに濁る(酸性化する)のです。ですから
    4. 明るい気もちでふっきれていないといけません。

      補足事項として、次のものを挙げておきます。
    5. 海藻
    6. 適量の運動
    7. 平静な呼吸


    世間では紫外線の弊害を強調し過ぎているように思われる。沖縄にいた頃、紫外線注意情報の多さに驚き、曇天でも日よけの傘をさしている歩行者を見たり、異様なマスクや顔隠しをした格好でジョギングやウォーキングをしている人たちを見てさらに驚いたものである。日本人は黄色人種であり、沖縄人たちは本土人たちよりも強い日照に耐え得る皮膚組織を持っている場合が多い。白人の場合の紫外線過多弊害の事例をそのまま有色人種に安易に当てはめようとするのはいかがなものか?

    葉菜といっても、自然日照の条件で育った葉菜が良いのは言うまでもなく、露地生育の季節の葉菜を毎日食べてごく当たり前に日光を受け、また汗を流せるような暮らしをしてこそきれいな血液を作るのが可能になるのだから、紫外線の弊害を過度に強調するのは馬鹿げている。同様にエステ式見せかけ日焼け美容も馬鹿げている。人為受光の工場野菜を食べて、蛍光灯・LED の下で学習教室やらスポーツジムに通うのは不自然、と見ることができない非常識はどこ(何)から生まれたのだろう?自覚の無い拝金主義の社会に生まれ育ったからである。そこにドップリつかっていて、健幸は有り得ない!

  4. きれいな血液 2


    前回述べた、きれいな血液をつくる条件のうち、1. 胚芽 2. 葉緑素 5. 海藻の3つは食物ですが、皆さんは食物をどのようにして入手していますか?しばらく前から、自然食品とよく言われるようになっていますが、ではその反対の “不自然食品”とは、どんなものなのでしょうか?前記の 1. 2. 5. について考えてみましょう。[追記:私が玄米菜食を始めた 40 年以上も前には、自然食(品)という言葉は珍しいほうだった。それから 20 年ほど後にはマスコミでの扱いや商品広告がだいぶ増える時代になった。しばらく前から、というのはその頃のことである。半世紀近くも経た今では、増々不自然食品が多くなってしまっている。]

    1. 胚芽に1番関係ある穀類についてですが、一般的には、日本では主食は白米、精白パン、精白ソバ(ウドン)…という例が多いと思います。精白どうのこうのという問題は別にして、穀物はどのように栽培されているでしょうか?市販されている大半の穀物は、国内産と外国産とを問わず、まず農薬を浴びせながら除草剤も散布して栽培したものです。また、化学的に(人為的に)合成した肥料で育てたものに違いありません。ひと口に農薬とか化学肥料といっても、皆さんが農産物の 生産者でない限り、どんなにたくさんの種類の農薬があり、また恐しいものであるかは、なかなかわかりにくいことでしょう。でもたとえば、除草剤というのは草を殺すのであり、殺虫剤は文字どおり虫を殺すのであり、時どきニュースでも伝えられるように、農薬自殺というのがあるように、人をも殺せるのが農薬なのです。うすめて使用しているからだいじょうぶ、などとのんびりしてはいられない問題をはらんでいます。

    放射能・農薬・経口薬などは、特に肝臓や生殖器官にたまりやすく、肝臓が痛めば、いくら食べても食べたものの栄養化はうまくいかず、体を養うことにはならなくなってしまいます。また生殖器官は腎臓と密接な関係にありますが、この腎臓は血液から尿をこしらえる働きをしており、腎臓が痛めば、血液の浄化作用はうまくいかなくなります。ということは、農薬で汚染されたり、化学肥料で不自然に栽培された作物を食べるのは、血液の浄化につながりにくいことを意味し ています。ひとことで言いますと、“不自然食品”を食べていたのでは、血をきれいにすることはむずかしい、ということです。

    2. 葉緑素の提供源である野菜についても、同じことが言えます。野菜の場合には、さらに季節はずれという不自然な問題も加わります。これは消費者と生産者、それにその仲介者の業者の皆に責任があるのですが、季節にふさわしくない物をめずらしがり、めずらしがらせるという、自然から離れた不自然な心の成せるわざでしょう。自然の季節にあって育つからこそ、自然な光合成が行なわれ、その季節に見合った養分が作られ、それを食べる側も、その季節に必要な栄養を得ることができるのです。それを、まるっきり季節を無視して、不自然な環境のハウス*の中で、自然光をさえぎり、化学肥料と農薬で、言わば暴飲暴食と薬づけによる肥満児飼育みたいなことをやるわけですから、そうしてできたものを食べても、これまた血をきれいにすることはできません。果物についても、野菜と同様の問題がたくさんあります。
    *ハウスや温室施設を利用しても、永田農法のように安全でおししい作物を栽培する例もあります。(化学肥料と言っても、永田農法では固形のものではなく、液肥を薄めて使用しています。化学肥料=農薬ではありません。)

    5. 海藻は比較的ましだと思われるかもしれませんが、残念ながら、地球的な規模で海は汚染されてきています。また人工養殖という、野菜のハウス栽培と似た問題もあります。


    こう見てきますと、食物に関しては、すっかり悲観的にならざるを得ませんね。実際のところ、こんなひどい状況なのですが、なんとかしていかないことにはしょうがありません。私の場合は、2. の野菜は、なるべく自分で作るようにしています。農薬はもちろんいっさい使いませんし、化学肥料もまったく用いません。果物としては、温州ミカン・ハッサク・キンカン・柿・プラム・ブドウ・桃・イチジク・梨・ビワ・サクランボ・ブルーベリー・ユスラウメなどを栽培しているので、それらはよく食べます。市販のものは、農薬がこわいので、わざわざ買って食べることはしません。私たちは、1. と 5. よりも、どちらかというと 2. の野菜に重点をおいた食事をしており、自然栽培した旬の野菜を充分食べていればだいじょうぶ、と思っていますので、私たちはふたりとも、肉も魚もまったく食べず、卵や乳製品もわずかしかとりませんが--だから、と言いたいのですが--40 代に突入したものの、じょうぶに生きています。
    (印刷物をスタックに、そして HTML に編集している現在は、50 代に入っています。--改めて校訂している現在、還暦目前です…→さらに数年経ち、40 年納付してきた国民年金が雀の涙みたいに還元されてくる高齢になりましたが、夏は6〜7時間、冬は4〜5時間農作業をしています。さらに歳月が過ぎ、栽培・食事状況も変遷していますが、ここ数年の推移については連用日記をご覧ください。)

    1. の穀物としては、玄米と白米、玄麦粉(全粒粉)、玄ソバなどを食べています。玄米は家内の実家から分けてもらい、全粒粉は買い、ソバは自分で作っています(ソバは旧大塔村平瀬時代のこと…暖地の旧南部川村に引っ越してからは作っていません。そのかわり小麦やアマランサスを栽培しています)。他に、自然食品店で買い求めたハト麦やキビなどを、ごはんにまぜて食べることもあります。
    5. の海藻類は、普通に買ったり、人からいただいたものを食べています。

    さて、皆さんの中には、私たちより恵まれている状況にある人もいれば、そうでない方々もおられることでしょう。後者の立場にある人でも、そのための努力をしなければ、血をきれいにすることもむずかしくなるわけですから、きれいな食物を入手することに、最大限の努力をおしまないでください。今では、どこの町にも自然食品店というものがありますし、そういう店に行ったことのない人は、のぞきに行ってみてください。で、もし、これまでの不自然食品を、徐々にでも自然食品に変えていくなら、いつかはきっとその努力は、きれいな血としてむくいられることでしょう。ちょっと言っておきますと、自然食品店で売っているからといって、それらが自然食品だとは言えないものが少なくない、ということです。少しずつ眼識(鑑識眼)をみがいていってください。


    改訂するたびに、珍妙な飲食物商品が増えてるなあ…という感じがする。詐欺は大昔から人類の歴史と共にあったことだし、年々増えてきていると感じるのは、情報伝達のスピードアップのせいもあるだろう。情報と物流のスピードアップを大半の人々は便利な文化生活と思うかもしれないが、<不都合な不真実>が世界中に蔓延するのが実に速くなってそれに気づくのが遅くなったという一面を見逃してはいけない。

  5. きれいな血液 3


    きれいな血液を作る、血液をよごしてしまうということに関して、血液循環と内臓の関係について知っておくと便利です。


    口から取り入れられた飲食物は、胃で消化され、その栄養分は腸から吸収されますが、その中に有害物質があれば、肝臓が解毒(げどく)してくれます。ところが、肝臓の解毒作用が十分でないと、毒を含んだ血液は、次に心臓(右心房→右心室)→肺と流れて行くことになりますので、農薬・食品添加物・医薬品などをたくさんとって肝臓に負担をかけると、心臓と肺を痛めてしまうことになりかねません。不自然食品をさほどとらなくても、バリバリと働きすぎる人(肝実タイプ)は、やはり肝臓障害をおこしやすいものです。ここで、もうひとつ考えておかなければいけないのは、左心室からの動脈は二つに分かれて、その一方は脳へ流れて行く、ということです。従って肝臓の解毒が不充分だと、脳にも悪い影響が及ぶ、ということになります。平たく言うと、農薬・食品添加物・薬などは、肝臓だけでなく頭も狂わせるということです。

    さて、肝臓の解毒処理を経て肺→心臓と進み、大動脈を通じて全身に血液を送ろうとするとき、血中の異物(バクテリヤも含む)を除去しようとするのが脾臓(ひぞう)です。ここで、脾臓が大いに働かなければいけないほど血中に異物があると、脾臓肥大(肥腫)となってしまいます。

    肝臓、そして脾臓の働きに障害がおきると、体に不必要になった老廃物質の最大の濾過器である腎臓に、ツケが回ってきます。つまり腎臓は、身体の浄化・防衛器官である肝臓と脾臓のあとしまつをしてくれるわけです。

    腎臓が老廃物の処理に追われて疲れ果て、血液の浄化作用がにぶってくれば、今度はその汚血が心臓を直撃し、その結果にも決定的に悪影響を及ぼします。

    以上の悪影響の順路(肝→脾→腎→心→肺)は、中国古代医学で言う「相剋(そうこく)」と一致しています。これらの五臓のうち、[今沢武人氏の]家庭医学で説くように、肝・腎・脾の三臓が特に重要で、食物の解毒(と栄養の自己化)を行なう肝臓に負担をかける農薬・食品添加物・化学医薬品などが、いかに血液をよごし内臓と頭脳を痛めて病気になるかが、よくわかると思います。ですから、なるべく自然な飲食物をとるように心がけることが、健康(=きれいな 血液)を得る基本である、ということになります。


    土・水・空気(土・水・空気)の汚染が深刻化するにつれて、食品添加物以前の汚染が重大になる。土と水は作物の栽培に直接関係するので、一般消費者にもある程度の問題意識が生じやすいかもしれないが、空気の汚染はそれに劣らず、あるいはそれ以上に深刻な事態である。人間にとってだけではないが、地上の生きものは呼吸を断たれれば分(ふん)単位で死ぬし、次は水分で、それから食物の順で命を落とす。そういう意味でも呼吸に直接関係する空気の汚染は大問題なのだが、一般人は食物・水(飲料)・呼吸の順に重きを置いてしまいがちである。飲食物については、実に多種類・多量に使用され消費されている食品添加物の問題がある。厚生労働省では次のように公告している。
    食品添加物は、保存料、甘味料、着色料、香料など、食品の製造過程または食品の加工・保存の目的で使用されるものです。
     厚生労働省は、食品添加物の安全性について食品安全委員会による評価を受け、人の健康を損なうおそれのない場合に限って、成分の規格や、使用の基準を定めたうえで、使用を認めています。
     また、使用が認められた食品添加物についても、国民一人当たりの摂取量を調査するなど、安全の確保に努めています。
    <食品安全委員会>のメンバーは、誰一人自分で人体実験をした上で<評価>を出したわけではないだろう。各方面で発表されている数値や、自分が関係している研究機関での数値を基にしているだけのヒトゴト評価だろう。そういう当てにならない評価を基準にして<人の健康を損なうおそれのない場合に限って、成分の規格や、使用の基準を定めたうえで、使用を認めています>というだけのことだから、よほどの社会的問題が発生しない限り<責任は我々には無い>と言っているにすぎない。<使用が認められた食品添加物についても、国民一人当たりの摂取量を調査するなど、安全の確保に努めています>というのも信じられない。そういう調査も数字を出してみるだけのヒトゴト調査だろうし。毎日自分が幾種類のどれだけの分量の食品添加物を摂取しているのかを知っている国民は皆無だろうし、厚生労働省の関係者も食品安全委員会のメンバーも知らないだろう。知っておいていただきたいのは、食品添加物は飲食物そのものではなく、添加物=非飲食物である、ということである。それを一生摂取しているのが現代人である。人類の歴史からしたら、食品添加物が無かった期間のほうが圧倒的に長く、食品添加物を摂取するようになった期間は非常に短いのだから、食品添加物を日々摂取したらどうなるのかについて人間はまだ何も知らないようなものである。厚生労働省認可だから安全だなんて思うなら、その人の健康も命も危ういものである。

  6. きれいな血液 4


    ところで、人間は物質的な飲食物だけではなく、「感情」も食べて生きている、と言えます。中国古代医学の古典『黄帝内経(こうていないきょう。こうていだいけい)』に、次のように説明されています:“喜は心を傷(やぶ)り、怒は肝を傷り、思は脾を傷り、憂は肺を傷り、恐は腎を傷る。”
    • 「喜」びも過度になると、心臓が破裂しそうになり、これを痛めてしまいます。
    • 「怒」れば、気が逆上し、血が頭にどっと昇り、そのぶん肝臓は貧血(この場合は血液量の不足)状態になります。
    • 「思」い(考え)すぎれば、消化しきれず、脾胃を痛めることになります。
    • 「憂」(うれ)い悲しめば、胸もふさぎ、ため息をついて補わなければならないほど、呼吸が十分でなくなり、肺をわずらいます。
    • 「恐」れれば、腰が抜け、体の要(肝腎かなめ)の腎を痛めます。
    インドの聖典ばガヴァドギーター bhagavadgītā は、再三欲望 rāga・恐れ bhaya・怒り krodha に言及していますが、奇(く)しくも肝(怒り)、脾(思い=執着)、腎(恐れ)を痛める3種の感情をいましめているわけです。ですから、あまり感情的になると内臓を痛めることになり、いくら自然食品をとっていても、血液はよごれかねません。

    以上を要約すると、 自然な食物を節度をもって食べ、円満な感情を保つことが、血液をきれいにし健康を得る基本である、ということになります。


    新しいとか古いという概念はいい加減なものでしかない。血液が日々つくられるのは皮袋(ひたい)が外界からの飲食物を摂取するから新しい血液ができていると人は思う。しかし飲食物にしても情報にしても、私の 'my' 身心に取り込まれると、既存の[=古い]肉体組織・記憶と入り混じるので、あるのは身心の改訂版であって新版というものではない。この改訂が改良なのか改悪なのかについても、凡人には自覚があまり無いのである。出生前の胎児の場合、日々の血液更新は母親の日々の改訂作業に依存するが、その期間後に飲食物の摂取や呼吸に激震がやって来る。離乳食以降は与えられる飲食物の質が血液の質に大きく影響するが、離乳食も次第にペットフードみたいな既製品になってきており、妊娠中の母親がファストフードを食べ、新生児はその母乳(か既製品のミルク)を飲み、おそらくは死ぬまで食品添加物含有の飲食物をガソリンとしてポンコツになるまで新陳代謝(珍々代謝?!)をして廃車みたいになり、リサイクル(輪廻 saṃsāra संसार )を延々とする…このリサイクルは潜在印象(サンスカーラ saṃskāra संस्कार = 記憶に付随する印象と蘇り傾向)という塵埃がの衣装となって宇宙舞台を練り歩く仮装行列みたいなものである。何億人かに一人程度の確率で、この仮装[=仮想]を止めて命の素顔に戻る聖なるお方が出る。残りはへたくそな塵埃ブルースを吹聴しながら心の貯蓄こそ我が命と思い、喜怒哀楽をバッチリ四散発散しては特性のジュースなる血液を濁す。シュタイナーが言った特性のジュースの極上はアートマ(アムルタ)ナーディー ātma (amṛta)-nāḍī を還流する精妙極まりないプラーナ prāṇa である。この自分意識(エゴ)から真実在 sat (Self) への唯一の通路に意識を帰還せしめ、真我への出戻りを果たすために、せめてきれいな血液を得ようと修行の第一歩に取り組むのである。グルメ志向やら邪食・暴飲暴食でそれがかなうわけは無い!