2011年12月25日日曜日

ヨーガヴァースィティ 18 : 5 瞑想行 1 アーナーパーナサティ(5)呼吸瞑想法経典抄訳


5全体生命にめざめる瞑想行



http://youtu.be/Bgg6-A-tfqg

1 アーナーパーナサティ AnApAna-sati

(5)参考資料
アーナーパーナサティ経(釈尊の呼吸瞑想法経典抄訳)


第一節[仏道の修行体系概説]


覚者釈尊の教えを信奉する私はこのように聞きました。ある時釈尊はサーヴァッてぃーの東方公園に、サーリプッタなどの高弟たちと共に滞在していました。教団の先輩僧たちは経験の浅い修行者たちを、10〜40 人のグループに分けて熱心に指導していました。ある満月の夜釈尊は野外に坐り、弟子たちをながめ渡してから話し始めました :

「修行僧の皆さん、この教団の中には全ての煩悩の根を断ち、あらゆる重荷をおろし、真正な理解執着からの解脱(げだつ)を得て、もう輪廻生死(りんねしょうじ)に支配されなくなった阿羅漢(あらかん)たちや、そこに向かっている僧たちがいます。
修行僧の皆さん、この教団の中には四念住四正勤四神足五根、五力七覚支八正道四無量心九不浄観無常想などの自分に見合った実修をしている僧たちがいます。
修行僧の皆さん、この教団の中には、また息(アーナーパーナ AnApAna)の完全な気づきサティ sati)をすでに実修している僧たちもいます。」

第二節[アーナーパーナサティの手ほどき]


「修行僧の皆さん、息の完全な気づき(アーナーパーナサティ)を実修し続け深めていくなら、四念住と七覚支に進み、完全な理解智と完全な心の自由平和が得られるのです。その修行法はこうすればよいのです。

修行者は森に行くか、樹の下に行くか、あるいはどこか人気の無い静かな所に行き、そして蓮華坐(結跏趺坐)で安定して坐り、(上)体をまっすぐ保ちます。そして、息をすっている時は息をすっていると覚知し、息をはいている時は息をはいていると覚知します。さらにくわしく説明しましょう。
  1. 長い息をすっている時は「私は長い息をすっている」と覚知し、長い息をはいている時は「私は長い息をはいている」と覚知します。
  2. 短い息をすっている時は「私は短い息をすっている」と覚知し、短い息をはいている時は「私は短い息をはいている」と覚知します。
  3. 「私は息をすっていて全身(カーヤ kAya)に気づいて、私は息をはいていて全身に気づいている」と実修するのです。
  4. 「私は息をすっていて全身の活動様態を静かに平和にし、私は息をはいていて全身の活動様態を静かに平和にしている」と実修するのです。
  5. 「私は息をすっていて全身の静まりの喜びを感じ始め、私は息をはいていてその喜びを感じ始めている」と実修するのです。
  6. 「私は息をすっていてその喜びを味わい続ける幸せを感じ、私は息をはいていてその幸せを感じている」と実修するのです。
  7. 「私は息をすっていて五感の働きとその感受にまつわる感情ヴェーダナー vedanA)に気づき、私は息をはいていて五感の働きとそれにまつわる感情に気づいている」と実修するのです。
  8. 「私は息をすっていて五感の働きと感情を執着無く手放し静まり、私は息をはいていて五感の働きと感情を執着無く手放し静まっている」と実修するのです。
  9. 「私は息をすっていて心の思考活動状態(チッタ citta)に気づき、私は息をはいていて心の思考活動状態に気づいている」と実修するのです。
  10. 「私は息をすっていて心の思考活動を執着無く手放し幸せで平和にし、私は息をはいていて心の思考活動を執着無く手放し幸せで平和にしている」と実修するのです。
  11. 「私は息をすっていて心の活動の手放しを定め続け、私は息をはいていて心の活動の手放しを定め続けている」と実修するのです。
  12. 「私は息をすっていて心の活動の元の記憶の執着を解放し、私は息をはいていて心の活動の元の記憶の執着を解放している」と実修するのです。
  13. 「私は息をすっていて全ての現象だンマ dhamma)の一瞬ごとに変化する性質(無常)をみつめ、私は息をはいていて全ての現象の一瞬ごとに変化する性質をみつめている」と実修するのです。
  14. 私は息をすっていて全ての現象は消え行きそれに対する欲望も消え行く(ヴィラーガ virAga)のをみつめ、私は息をはいていて全ての現象は消え行きそれに対する欲望も消え行くのをみつめている」と実修するのです。
  15. 「私は息をすっていて万法に対する欲望の解消による苦の止滅(ニローだ nirodha)をみつめ、私は息をはいていて万法に対する欲望の解消による苦の止滅をみつめている」と実修するのです。
  16. 「私は息をすっていて万法と自我への一切の執着からの離脱(パティニッサッガ patinissaggaをみつめ、私は息をはいていて万法と自我への一切の執着からの離脱をみつめている」と実修するのです。
    ※「万法への執着の脱落=菩提」+「自我への執着の脱落=涅槃
    五蘊照見(般若心経)。身心脱落脱落身心(如浄・道元)

アーナーパーナサティを以上の教示に従って継続して深め実修するなら、すばらしい利益と共に報いられるでしょう。」

第三節[四念住との関係]


「四念住(サティパッたーナ satipaTThAna)の修行に成功するために、どのようにしてアーナーパーナサティを継続実践し深めるのでしょうか?
修行者が入息・出息に気づきつつ、体を静め(身念住)、感受作用と感情を静め(受念住)、思考と記憶の執着を手放し(心念住)、この世で経験するあらゆる愛着と憎悪を克服する(法念住)なら、アーナーパーナサティの修行は四念住(サティパッたーナ)の完全な成就に導かれるでしょう。」

第四節[七覚支の説明]


「四念住はどのようにして七覚支(サッタ・ボッじゃンガー satta-bojjhangA)の確立に導かれるのでしょうか?
  1. 修行者が四念住に成功すると、覚醒の最初の要素の[修行生活上の]充分な気づきと注意力(sati サティ。mindfulness)である念覚支を得るでしょう。
  2. 修行者が気を散らすことなく、心に起こり来る各対象を正見正思する時、覚醒の第二の要素の諸現象を吟味できる択法(ちゃくほう)覚支を得るでしょう。
  3. 修行者が気を散らすことなく、根気強く持続した安定した仕方で諸法を観察して吟味できる時、覚醒の第三の要素である精進覚支を得るでしょう。
  4. 修行者が精進修行の流れにおいて安定した落ち着いた状態に達した時、覚醒の第四の要素である(き)覚支を得るでしょう。
  5. 修行者が喜の状態に気が散ることなく留まれる時、自分の体と心が軽く安らかに感じる覚醒の第五の要素である軽安(きょうあん)覚支を得るでしょう。
  6. 身心が軽安である時、修行者は容易に集中状態(禅定)に入ることができる覚醒の第六の要素である(じょう)覚支を得るでしょう。
  7. 修行者が深い静けさをもって集中(禅定)に留まっている時、愛憎・得失・主客を分別比較することをやめる覚醒の第七の要素の手放しと平静である(しゃ)覚支を得るでしょう。
このようにして四念住が継続実践され深められるなら、七覚支が確立するに至るでしょう。」

第五節[真の理解と完璧な自由]


「七覚支はどのようにして、真の理解と完璧な自由の完成に至るでしょうか?修行者が静かな隠遁生活をし、万法の消退を観察して黙想しながら七覚支の道に従うなら、その者は無執着とあるがままの受容力を育むでしょう。これが七覚支の道に従うことの結果であり、真正な理解(明智)と完璧な自由(解脱)の完全な成就に至るでしょう。」

第六節[真理の教えの悦びと感謝]


これが覚者釈尊が言われたことです。釈尊の教えを聞いて、教団の皆が感謝と喜びを感じたのでした。


種々の経典には簡潔なものもあるし、長大なものもある。仏教の簡潔な経典としては『般若心経』がある。簡潔だから理解しやすいかというと、そうでもない。アーナーパーナ・サティ AnApAna-sati 経も上掲のような形式で提示すると、読んでみれば平易であると思うかもしれないが、実修してみればハッキリするように、一生かけての修行でも成就できないとわかってくる。“知る→わかる→(試行錯誤→)できる→変わる”のどこに自分がいるのかを自覚すべきである。