2011年12月24日土曜日

ヨーガヴァースィティ 20 : 5 瞑想行 2だーラナー覚触 (1)定義


5全体生命にめざめる瞑想行



https://youtu.be/QCwf3gjEqGU

2だーラナー覚触(かくそく)

(1)定義


だーラナー dhāraṇā धारणा = the act of holding 
ラージャヨーガ rāja-yoga とも呼ばれる
aṣṭāngayoga अष्टाङ्गयोग 八段階ヨーガ
第6番めに当たるもので
一点(ただ一つの対象)に
一心(心を一つにして)集中することです

覚触(かくそく)というのは
坐禅において
考え事に気づき・手放し[=追い続けない]
いねむりから目ざめ
坐禅そのものにもどることです
ここで言うだーラナー覚触
だーラナーをして
それ以外の思いが出たならすぐ手放して
だーラナーにもどることです

(2)だーラナー dhāraṇā の対象


だーラナーの対象
なんでもよいのですが
原則として
粗雑なものから精妙なものへ
段階的に修行していく
のが
安全な行ない方です
だれにでもできて無難なのは
自分の入息・出息を
だーラナー(観察)の対象として
それ以外の思い(考え事)が出てきたなら
すぐ手放して[=追いかけるのをやめて]
再び入息・出息の観察にもどる方法です*
このようにするなら
いつどんな場所にいても
だーラナー覚触という瞑想行ができます

*これは結局アーナーパーナサティと同じです


瞑想でも祈りでも、その他の宗教的修行でも、また一般的稽古(習い事)でも、上達する人たちは自覚の差はあれだーラナー dhāraṇā 覚触を心得ているし、上達しない人たちは集中力に欠け、覚触すべきなのに雑念妄想にハマル事態になっていることが多い。上達する人たちにあっても、一定の進歩の後で弛んでしまい、それから盛り返して更に上達するタイプと、限界点に達したり退歩するタイプがある。だーラナー覚触に出会った時点で、どちらのタイプに属するかは決まっている…坐禅にはだーラナー dhāraṇā は無いという人たちがいるが、だーラナーと覚触は一体である。ヨ(ー)ガに関わっている人たちの多くは覚触について知らない。