2011年12月22日木曜日

ヨーガヴァースィティ 36 : 仕事と放棄の出典和訳


6 修行生活上の心得 2仕事上の心得の出典



http://youtu.be/5jG-Jg9ChkM

仕事と放棄
ラマナ・マハルシ聖者の教え


(次の質疑応答は、『マハルシの福音』に収められている仕事と放棄からの抄訳です。)

弟子:人間にとって、霊的経験の至高の到達点は何でしょうか?
師(マハルシ)真我セルフ)の覚智現成(げんじょう)(Self-Realization)[=自(分)意識の解消です。

弟子:結婚している人でも、真我(セルフ)の覚智現成は可能でしょうか?
師(マハルシ):もちろん。結婚していてもしていなくても、人は真我を現成(=現に成らせる。実現成就)できます。なぜなら、真我は今ここ[すべてと共に]実在しているからです。もしそうではなく、ある時の何らかの努力によって到達できるものであったり、また新たにこれから獲得されるべき性格のものであるなら、それは探求するに値しないでしょう。というのは、本質的[←→属性的]でないものは永遠でもないからです。つまり、私が言いたいのは、真我は今ここに実在しており、不二一元の唯]一者(alone)であるということです。

弟子:[世俗の]仕事を持っていて、それでいて欲望を離れ、孤高であり続けることができるでしょうか?生活上の諸々の勤めは、坐って瞑想するのはおろか、祈る時間をさえ与えてはくれません。
師(マハルシ):ええ。執着心をもって仕事をするなら、それは[真我の現成にとって]障害となります。しかし、無執着の態度で成される仕事は、行為者に何ら影響を与え[ず、真我の現成の障害にはなり]ません。執着の無い人は、仕事をしている間であっても、[真我と一体という]孤高の境地にいるのです。自分の成すべき務めに[無執着で]従事することこそが本当の礼拝(ナマスカーラ namaskAra)であり...[=真我]に住することが唯一の本当のアーサナ Asana なのです。

弟子:私は家庭を捨てるべきではありませんか?
師(マハルシ):もしそうするのがあなたの(運命・)宿命であったなら、その[ような迷いの]質問は出てこなかったでしょう。

弟子在家者の場合、解脱するためにはどうしたらよいのでしょうか?解脱を達成するためには、[在家生活を捨てて]乞食(こつじき)者にならなければいけないのではないでしょうか?
師(マハルシ):どうしてあなたは自分を在家者であると思いみなすのですか?[そのようにとらわれるなら]たとえ出家修行者になってみても、あなたは自分は出家修行者であるという思いにわずらわされるでしょう。それを捨てて森の中へ入ろうと、あなたの[の思い]はあなたにつきまといます。エゴというものが、想念の源なのです。エゴがこの身体(肉体皮袋)もこの世界も造り、それがまたあなたをして在家者であると思わせている[当体な]のです。あなたが家を出ても、それは在家者[として]の思いが出家者[として]の思いに取って替わっただけのことで、また家庭的環境が森の環境と入れ替わるだけの話です。でも、心の思いわずらいはいつでもあなたにとってそこにあるのです。かえって、[求めた]その新たな環境で余計に思いわずらうこともあるのです。外的環境を変えることが、救いになるのではありません。唯一の障害は、自分の心の中にあるのです。家にいようと森にいようと、心[の思い]こそが克服されなければいけないのです。もしあなたが森の中でそうできるのなら、どうして家にいてできないわけがあるでしょうか?それなら、なぜ外的環境を変えるのですか?環境がどうあろうとも、あなたは今このままで努力することができるのです。

弟子:世俗の仕事で忙しくしている間でも、三昧を享受することはできるものでしょうか?
師(マハルシ):‘私が仕事をしている’というその感じ方が、じゃまものです...仕事をするとか、家を出るとか、思いわずらわないようにしなさい。その思いわずらうという無駄な]努力が束縛[←→解脱]なのです…

from Work and Renunciation in Maharshi's Gospel


家にいようと森にいようと、心[の思い]こそが克服されなければいけないのです。もしあなたが森の中でそうできるのなら、どうして家にいてできないわけがあるでしょうか?」とラマナマハルシは言うが、凡人は心の思いそのものではなく、思いの外的投映である森(の庵)・禅堂・礼拝所などへの憧れが問題なのである。つまり凡人は意識を権外である皮袋の外に遊ばせるのが得意でも、権内である思いの虚出没性の洞察や思いの出所の探究=アートマ・ヴィチャーラ Atma-vicAra(思いの出所の探究)は苦手なのである。目は外に向いているし、親を知覚認識するためには目を外に向けることから始めて育ってきたのだから。だからラマナマハルシのような真の親=真実在 sat (Self)覚智するには、目=思いの 180 度の転換である回(廻)向返照が文字通りターニングポイントになることを理解しなければいけない。理解できれば、心が森(の庵)・禅堂・礼拝所になり得るのである。