2011年12月22日木曜日

ヨーガヴァースィティ 38 : ウォーキングメディテイション出典和訳


6 修行生活上の心得
3ウォーキングメディテイションの出典



http://youtu.be/QdO1vZJgUu0

ウォーキングメディテイション
(テイクナトハンによる)



http://youtu.be/HwBaZksHaCw

ウォーキングメディテイション(歩く瞑想)は、とても楽しいものです。私たちはゆっくり歩きます、ひとりででも、友だちとでも、できればどこか美しい場所で。ウォーキングメディテイションは、ほんとうに歩くのを楽しむことです--どこかに着くために歩くのではなく、ただ歩くために歩くのです。その目的は今ここ、自分の息と歩いていることに気づき、一歩一歩を楽しむことです。ですから私たちはどんな悩みも心配も捨て去って、未来のことを考えたり、過去のことを思ったりせず、ただ今ここを楽しむのです。こどもと手をつないで ウォーキングメディテイションをすることもできます。自分が地上でもっとも幸せな人間であるかのようにして、私たちは歩き、ステップを踏むのです。

私たちはいつでも歩いているのに、ふつう私たちは走るかのように歩いています。私たちがそのように歩くとき、私たちは地上に心配と悲しみの足あとを残しているのです。私たちは地上に平和と静けさの足跡だけを残すようにして、歩かなければいけません。私たちがそのように強く欲するなら、私たちはみんなそうできるのです。どんなこどもでもできるのです。もし私たちがそのようにして1歩歩くことができるなら、2・3・4・5歩も同様に歩けるのです。私たちが平和に幸福に1歩歩くことができるとき、私たちは人類全体の平和と幸福のために貢献しているのです。ウォーキングメディテイションはすばらしい実践です。

私たちが外でウォーキングメディテイションをするとき、私たちはいつものペースよりちょっとゆっくり歩き、息とステップを調和させます。たとえば、息をすいながら3歩歩き、息をはきながら3歩歩きます。それで[心の中で]次のように言ってみます:“イン、イン、イン(すう、すう、すう)。アウ ト、アウト、アウト(はく、はく、はく)。”“イン(すう)”[と心の中で言うの]は、入息を自分で確認するためです。私たちがなにかをその名前で呼ぶごとに、友だちの名前を呼ぶときのように、私たちはその実体をよりハッキリと確認する[ようにしなければいけない]のです。

あなたの肺が3歩ではなく4歩を望むようなら、どうぞ4歩にしてください。もし2歩だけ望むようなら、2歩でよいのです。入息と出息の長さは同じである必要はありません。たとえば、息をすいながら3歩、息をはきながら4歩歩くようにしてもよいのです。あなたが歩いている間、幸せに・平和に・楽しく感じるなら、あなたは正しく行なっているのです。

自分の足と大地のふれあいに気づいてください。あなたの足で大地にキスしているかように歩いてください。私たちは地球に多くのダメージを与えてきました。今こそ地球にやさしくすべき時です。地球のこの表(面)に平和と静けさをもたらし、愛のレッスンを分かち合いましょう。そのような精神で歩きましょう。

ときどき、なにか美しいものを目にすると、私たちは立ちどまってそれをじっと見つめたくなります--木、花、遊んでいるこどもたちなどを。私たちは見つめるとき、自分の息を追い続ける[ようにしなければいけない]のです。でないと、私たちは[目の前にある]美しい花を見失って考えごとに気をとられてしまいかねません。また歩きたくなったら、そのときウォーキングメディテイションを再開します。私たちの歩く一歩一歩がすずしいそよ風を呼び、身も心もリフレッシュしてくれるでしょう。一歩一歩が、私たちの足の下で花を咲かせます。私たちがそのようにできるのは、未来や過去を思わず、生命は今ここにしかありえないのだとわかったときだけなのです。

参照:Thich Nhat Hanh: PEACE IS EVERY STEP (Parallax Pres) pp. 27-29


競歩・競走を面白いと思うのか、人間の狂騒と見るのかは、刷り込まれた情報が当人にとってどういう価値観を持つのかにかかっている。競争には<争う>という字が入っているのを見てもわかるように、様々な紛争を引き起こす予感さえする。生きものには競い合って生長・成長するという要素・段階があるけれども、そういうレベルを卒業してしまえば、比較競争は愚劣としか思えなくなる。速いのを競う必要は無いのと同様、遅いとかゆっくりを競う必要も無い。比較することとその元凶である「私 'I' という思い ahaMkAra; aham-vRtti (I-making)」が迷妄なのだから。