2011年12月21日水曜日

ヨーガヴァースィティ 41 : 6 修行生活上の心得 4 今ここ自己出典2


6 修行生活上の心得 4 今ここ自己(わたし)出典2


『ばッデーカラッタ・スッタ』
今ここに生きる



http://youtu.be/BXWXwHFOLbg

釈尊がしラーヴァスティー市のジェータの森の僧院に滞在していたある時に、私はブッだ(覚者)の次の言葉を聞きました。

釈尊は言いました:「ひとりで生きるためのよりよい方法を知る事とは、どういうことかを教えましょう。

過去をクヨクヨ思わずに
未来をあれこれ想わずに
過去は過ぎ去りもう無いし
未来は未だ来ず分らない
この人生をあるがままに
今ここ深くみつめるなら
修行生活安定し
こだわり無い暮らしができる
この日今ここ励むべき
明日というのはもう遅い
死は予期せずにやってくるし
誰でも何時かは死ぬのだよ
昼夜を分かたず気づき持ち
孤高に生きるを賢者と言う



http://youtu.be/lEo0Qt4BzIM

修行僧の皆さん、過去を追跡するとはどういう事でしょうか? 自分の色(しき)(体の状態や動作)、受(感覚作用や感情)、想(想念や思考判断)、行(ぎょう)(記憶と憶念)、識(認識)[→以上五蘊が過去にどうであったかなどと考え、過去に属する事々で心が重苦しくなり執着するなら、その時その人は過去にこだわっているのです。

修行僧の皆さん、過去を追跡しないとはどういう事でしょうか?自分の色・受・想・行・識が過去にどうであったかなどと考えても、過去に属する事々に囚われないなら、その時その人は過去にこだわっていないのです。

修行僧の皆さん、未来に迷うとはどういう事でしょうか? 自分の色・受・想・行・識が未来にどうなるかなどと考え、未来に属する事々で心が重苦しく、執着するなら、その時その人は未来にこだわっているのです。

修行僧の皆さん、未来に迷わないとはどういう事でしょうか? 自分の色・受・想・行・識が未来にどうなるかなどと考えても、未来に属する事々に囚われないなら、その時その人は未来にこだわっていないのです。

修行僧の皆さん、現在に流されるとはどういう事でしょうか? 人が覚者(仏)や、慈愛理解智の教え(法)や、調和と気づきに生きる教団(僧)について、何も学び実践しないで自分と色・受・想・行・識を同一視する時、その時その人は現在に流されているのです。

修行僧の皆さん、現在に流されないとはどういう事でしょうか? 人が覚者(仏)や、慈愛と理解智の教え(法)や、調和と気づきに生きる教団(僧)について、学び実践して自分と色・受・想・行・識を同一視しない時、その時その人は現在に流されていないのです。

修行僧の皆さん、これで私はひとりで生きるためのよりよい方法である、今ここを最高に生きる教えを説明しました。」


このように釈尊は教えられ、修行僧たちは喜んでその実践に励むのでした。

参照:Thich Nhat Hanh: Our Appointment with Life pp. 5-8


「今ここ」の理解は瞬間(クシャナ kSaNa)を別にして有り得ないが、ではその瞬間に何を覚智するのか?ラマナマハルシが言う「常在の今ここ」は破我と共にしか覚智されない。それだけが「今ここを最高に生きる」ことであって、仏典で説明されているヒトゴトの教えではない。仏典の大半は修行手段の教えであり、釈尊の覚智体験そのものではない。