2011年12月20日火曜日

ヨーガヴァースィティ 45 : 6 修行生活上の心得 8 スワーミーダヤーナンダの祈り


6 修行生活上の心得



http://youtu.be/HfnPYGPKth4
*録音の 15 分少し前からしばらく二重録音になっている箇所があります
旧バージョンの録音を保持しておらず修正できませんので
気になる方はその箇所を飛ばしてお聞きください

8 スワーミーダヤーナンダの祈り

(a)


を助けてください 主よ
私に過去のすべてを素直に
れさせてください
私がだれをも責めないように
自分をも他の人をも
責めないようにしてください
私が過去を素直に受け容れるよう
助けてください

(b)


主よ 私の を静けさと愛で満たし
もう変えることができない[過去の]ことを
素直に
改めることができることを
実行できるようにしてください
私には過去を変えることはできません
それはもう起きてしまったのですから
しかし私は[過去に対する]態度を改め
理解のしかたを変えることができます
私は理解を深めることによって
自分自身に対する態度
世界に対する態度を変えることができます
私にできることを改めさせてください
そして私が変えられることと変えられないことの区別をできるよう
私に智慧をお与えください

(from Morning Meditation-Prayers published by Arsha Vidya Pitham


古代から伝えられてきている教えのリメイクだろうが、とても美しい祈りの詩になっている。このような理解・受容の仕方を教えてくれる言葉で苦悩が軽減し救われたり、絶望して自殺しようかという窮地に陥っていた人が一縷の望みを持つことができる場合もあるだろう。しかし、言葉の一つずつを精査してみると、真実在 sat (Self) なる現象源から虚出した現象についてのことばかりである。苦悩したり救われたいと思ったりするのはいつも‘自分’なのだが、その「私 'I'」とは「私 - 私 'I'-'I'」(セルフ Self)からの虚出あるいは仮設(仮説)upacAra にすぎない。凡人の現実は聖賢からすれば知覚認識という妄想非実在である。究極の祈りは、万夢を生じる「私 'I' という思い ahaMkAra; aham-vRtti (I-making)」のツクリゴトを止めようと決定することである。