2011年12月20日火曜日

ヨーガヴァースィティ 46 : 6 修行生活上の心得 9 命をみつめて




「観察と気づき」についてはよく取り上げられるけれど、気づく/気づかない主体の‘自分’に目を向けることを問題にするのはそんなに多くない。それは人間の五官が外向きにつくられていることからもわかる。もし人間の眼が外界を見ることができるように、内向きになって大脳やら五臓六腑を視る能力を持っていたら、いったいどうなるだろう?毎日気絶するかもしれない…五官の働き(五感)を集約的に統制しているのは第六識(マノー・ヴィジニャーナ mano-vijJAna)での判断作用=知覚認識である。視力が落ちてきたのを判断するのは眼根という器官ではなく、大脳の判断である。その大脳には頭が痛いとか重いとかの判断作用があるので、大脳には外界への気づきと共に、大脳自体の自覚作用があると言える。たいていの場合には頭痛や頭重は放っておけば数時間〜数日で直るので、自覚作用と共に「自治(自己治療)」能力もあることになる。ということは、人間の精神作用(心理)には、ヒトゴト理解する能力もあれば、ジブンゴトを理解する能力も備わっているということである。人間は概して外向(外交)好きであるが、外向(外交)で疲れると、あるいは心が成熟すると、内向(内交)への機運がやってきて、上掲のテーマ“命をみつめて”のインナートリップ inner trip を始めることになる。究極的には外も内も無い真実在安住 Atma-niSThA आत्मनिष्ठा になり、長い輪廻生死・輪廻転生 saMsAra の旅は終わる。