2011年12月14日水曜日

みんなのギーター2章 54-72 節概説


皆のギーター


無念


キクダケ:『皆のギーター』は、なかなか内容の深い教材ですね?
セツメイ:初めは親子で学べる教材として印刷したものだったのを、後でデジタル化してヨーガ教師たちのために[参考]を加え、その後さらに最下方に解説図を追加したんだよ。
キクダケ:一般の親子が学ぶ場合にも、サンスクリットが必要ですか?
セツメイ:いや、特別必要ではないよ。でも実験してみたら、子供たちは耳で真似してサンスクリットでいっしょに歌えたよ。
キクダケ:本当ですか?
セツメイ:うん。ほかにも、大塔村(現田辺市)平瀬にいた頃、小学生二人に『星の王子さま』を英語で教えていたことがあってね。ついでにある箇所をフランス語で教えてみたら、ちゃんと学習できたよ。
キクダケ:驚きですねえ。
セツメイ:子供の吸収能力は、オトナが勝手に判断するほど低くはなく、多くの場合オトナのそれをしのぐものだよ。
キクダケ:私なんかは、子供たちに『ばガヴァド・ギーター bhagavad-gītā』はむずかしすぎるだろうなんて考えてしまいますがねえ。
セツメイ:そういう考えは間違いだね。ワシは幼児たちに音楽を教えてみた経験から、たとえば園児たちと保育者たちとの間に学習能力に大差は無く、場合によっては保育者たちの頑固さが障害になり、園児たちのほうがよく学習できるのを実際に目撃してきたよ。その後、ある母子に『けんこうヨーガ』()をテキストにしてヨーガを教える機会に恵まれた時にも、ヤマ yama(禁戒)ニヤマ niyama(勧戒)を学習することにおいて、子供のほうが劣るなんていうことは感じなかったよ。
キクダケ:意外ですねえ。
セツメイ:あなたの「意外」は先入観念・固定観念から来る想像だよ。
キクダケ:あなたにとっては意外ではなかったのですか?
セツメイ:ワシは若い頃から幼児たちと遊んで来たので、幼い子供たちの吸収能力についてはかなり良く知っていたからね。オトナができることは、説明の仕方さえ工夫するなら、子供たちにもできるはずだという信念をずっと持ち続けてきたよ。
キクダケ:私の子供たちでもそうだったのでしょうか?
セツメイ:もちろん。
キクダケ:もっと早い時期にあなたに出会っていれば、うちの子供たちにも『皆のギーター』を教えてもらえたのでしょうがねえ。
セツメイ:ワシといっしょにヨーガを実修した子供たちはけっこういるけれど、その後始末を親たちがせず、家庭で悪い模範を示すので、ヨーガの学修を活かすことができた子供たちはそういなかったね。
キクダケ:親たちが邪魔をしてしまうのですか?
セツメイ:そうだよ。食生活・会話・行動パターンなど全部で、ヨーガとは相反する生き様の手本を毎日見せるわけだから、子供たちが学んだことは簡単にぶちこわされてしまうね。
キクダケ:もったいないですねえ。
セツメイ:実にもったいなかったね。
キクダケ:残念でしょうねえ?
セツメイ:ザンネンではあったけれど、念を残すような未練は無いよ。
キクダケ:あなたは駄洒落(だじゃれ)が好きですねえ。
セツメイ:駄洒落ではなく、いつも意味を込めて説明しているのだよ。
キクダケ:はあ…残念というのは、確かに念が残ること、ですねえ。
セツメイ:無念がベストだけれど、世間で言われる「残念無念」は良くないねえ。
キクダケ:どうしてですか?
セツメイ:愛憎という執着そのものだからさ。思いを引きずるから不幸になるのだよ。bhagavad-gītā 2.56 を見てごらん。「苦においては心悩まず 楽において愛着なく 貪り・恐れ・怒りもなく 気づきに満ちた者は聖者」と出ているでしょう?
キクダケ:ええ。
セツメイ:‘貪り・恐れ・怒り’などは「念(思い)」だよ。だから無念なら問題は何も無いのだよ。
キクダケ:そういうことになりますねえ。どうすれば無念になりますか?
セツメイ:これまであなたに何度説明してきたと思う?馬耳東風でしかないのは、まさにザンネンムネンの極みだよ。