2011年12月16日金曜日

ヨーガヴァースィティ 68 : 8 究極の教えの理解のために 6 ハート(2)


8 究極の教えの理解のために



http://youtu.be/gHZU9ATlrAU


http://youtu.be/n77byEtmxs4

6 ハート(2)


師(マハルシ):ヴァスィシた vasiṣṭha は、2種類のハートがあると[ラーマ rāma に]言っています。ひとつは普遍的で[全体宇宙生命として]‘受け容れられる’べきもので、もうひとつは時[空]によって限定された[全体宇宙生命として]‘拒否される’べきものです。普遍のハートは内にも外にも実在し、‘私はこの体である’という意識が解消されると、それは内でも外でもなくなります。(The Mountain Path, Oct. 1981, p. 223)

弟子:ハートの位置はどこですか?
師(マハルシ):ハートは聖賢たちの証言によれば、霊性体験の中心です。人がハートの位置についてたずねる時、その人は自分の肉体に照らし合わせて、そう言うのです。この見地からすれば、肉体との照合が言及されるべきであるというのはもっともです。[しかし]示されるものは、あなたが認識できる次元でのハートの位置なのです。あなたは真の識[=純粋識 citを探求しています。どこであなたはそれを見つけられますか?あなたはそれを自分自身の外で得られますか?あなたはそれを[まず]内において見つけなければなりません。だからあなたは内へと導かれるのです。ハートとは気づきの座、(意)そのもの[cit = 全一識=唯識]です。(Maharshi's Gospel, p. 66)

師(マハルシ):あなたが内奥へ探求していくと、底無しの深淵にでも落ちたように自分を見失うが、その時始終あなた[=自分=エゴ = 'I'の背後にいたア−トマン ātman である真実在[=全体宇宙生命 'I - I'(アイ・アイ)]が、あなたをつかまえ['I' = 個的生命が 'I - I' = 全的生命を覚智す]る。それはどういうものかというと、[在るのは全体宇宙生命としての]ワタシ[だけという真我]純粋識の絶え間の無いフラッシュで、言うならば、あなたはソレ[の実在]に気づき、それを実[際に][受]し、それ[の 'I - I'、'I - I'... という音=オームを聞いたりして感覚的にわかるのである。これが私が“アハン・スぷールティ aham-sphūrti [= aham-sphuraṇa]”[=私・鼓動光輝=真我の鼓動光輝=全体生命の脈動光輝=オ−ムの響き]と呼ぶものである。
(Kapali Sastri: Sat Darsana Bhasya & Talks with Maharshi, pp. xx, xxi)
D. Then the vedānta jñāna as spoken of and discussed is perhaps different from what is practised and realised. You often say that there is the real meaning of 'I' in the Heart,

M. Yes, when you go deeper you lose yourself, as it were, in the abysmal depths, then the Reality which is the ātman that was behind you all the while takes hold of you. It is an incessant flash of I-consciousness [= 'I'-'I'], you can be aware of it, feel it, hear it, sense it, so to say ; this is what I call aham sphūrti.