2011年12月16日金曜日

ヨーガヴァースィティ 72 : 8 究極の教えの理解のために 10 プラティヤーハーラ pratyāhāra


8 究極の教えの理解のために



http://youtu.be/998ji-pBvB4


http://youtu.be/3qWdvoQk0JQ

10 プラティヤーハーラ pratyāhāra


(1)ヨーガスートラ yoga-sūtra
  • 2.54[五]感覚器官の対象から[脳神経=前五識としての]感覚が絶縁されて、第六識の制御下に入るのが感覚制御である。
  • 2.55それ[の熱誠な修行]から諸感覚[と感覚器官と肉体]の高次の支配力が生じる。

(2)ラマナマハルシの説明
  1. これは、心が外的な名と形あるものに向かって流れるのを防止して制御することです。[=権外志向阻止]
  2. 除去された名称と形態(ナーマ・ルーパ nāma-rūpa)が、再び心に入ってくるのを防ぐことです。


(Self-Enquiry, pp. 25 & 35)

(3)ヴェーンカテーシャーナンダのギーター 2.58 の解説から
わが師(しヴァーナンダ Shivananda)は、私たちが誘惑(スネーハ sneha)におびやかされた時はいつでも、四肢(感覚と意)を引き上げることができる霊的甲羅(こうら)という思考基盤を持つことが必要であると、いつも強調しておられました。(スネーハという語は、普通は友情や執着を意味しますが、‘にかわ’をも意味します。)

(Swami Venkatesananda: The Song of God, p. 58)


生きものは感覚を使って現象世界で生きていくことができるものの、<飛んで火に入る夏の虫 It is like a moth flying into the flame.>と言われるように感覚の罠にハマルことが多いので、諸聖典にはプラティヤーハーラ pratyāhāra の教えがふんだんに出て来る。諸宗の戒律の多くは、修行を妨げる感覚誘惑への対抗手段になっている。戒律を暗記しても、戒律に背いている考え事・行動をしていることに気づかなければ、記憶の中の戒律は役に立たない。アタマだけの学習ではなく、学修という学びと実践によって気づきを鋭敏にすることによって、プラティヤーハーラの修行が深まる。