2011年12月15日木曜日

ヨーガヴァースィティ 76 : 8 究極の教えの理解のために 14 ニ種の8段階要約


8 究極の教えの理解のために


ここから先の録音は劣化して音飛びがあちこちにあり申し訳ありません


ニ種の8段階要約 1


ニ種の8段階要約 2


ニ種の8段階要約 3


ニ種の8段階要約 4


ニ種の8段階要約 5

14 ニ種の8段階要約


マハルシ解説のラージャ・ヨーガ rāja-yoga explained by ramaṇa-maharṣi


(問い)ラージャ・ヨーガの8部門はどういうものですか?
(答)ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法)、プラーナーヤーマ(調気法)、プラティヤーハーラ(感覚制御)、だーラナー(一心集中)、でぃヤーナ(一心集中持続)、サマーでぃ(一体一如)です。これらを説明しましょう。

(1)ヤマ yama(禁戒):これはアヒンサー ahiṁsā(非暴力)、サティヤ satya(正直)、アステーヤ asteya(不盗)、ブラフマチャリヤ brahmacarya(独慎行)、アパリグラハ aparigraha(不貪)などの善い行ないの規律を身につけるためのものです。
(2)ニヤマ niyama(勧戒):これはしゃウチャ śauca(清浄)、サントーシャ saṁtoṣa(知足)、タパス tapas(熱誠な修行)、スヴァーでぃヤーヤ svādhyāya(聖典読誦)、イーしヴァラ・プラニだーナ īśvara-pranidhāna(神への献身)などの善い行ないの規範を、自ら積極的に遵法(じゅんぽう)していくためのものです。
(3)アーサナ āsana(坐法):種 々のアーサナの中で、84 のアーサナが主要なものです。これらの 84 のアーサナの中でもスィンハ siṁha、バドラ badra、パドマ padma、スィッだ siddha の4つのアーサナがすぐれていると言われており、その中でもスィッだーサナ siddhāsana が最上とされています。このようにヨーガ経典は説いています。
[訳注]ここは、ラージャ・ヨーガの説明ではなく、ハたヨーガの説明になっている。
(4)プラーナーヤーマ prāṇāyāma(調気法):聖典に記されている定義に従えば、生気をはくのがレーチャカ recaka、すうのはプーラカ pūraka、とめておくのはクンばカ kumbhaka と呼ばれます。それらの比率に関して、ある経典はレーチャカ(出息)とプーラカ(入息)は同じ長さにし、クンばカ(保息)はその2倍にすると述べ、また他 の経典はプーラカを1にすれば、レーチャカは2、クンばカは4の割合であるとしています。比率の基準になるのは、ガーヤトリー・マントラ gāyatrI-mantra をを唱えるのに要する時間です。このようにして、レーチャカ・プーラカ・クンばカから成るプラーナーヤーマは、毎日各人の能力に応じて、ゆっくりと段階的 に実習されなければいけません。そうしていくと、動かずに幸せのままでいたいという願望が心にわきあがってきます。その次にプラティヤーハーラを修めなければいけません。
(5)プラティヤーハーラ pratyāhāra(感覚制御):これは、心が外的な名と形 nāma-rūpa あるものに向かって流れるのを防止して調御することです。それまでころころ動き回っていた心は、今やコントロールされてきます。プラティヤーハーラのために有効な手段としては:
1 プラナヴァ praṇava(聖音オーム)への瞑想
2 眉間への意識集中
3 鼻頭凝視
4 ナーダ nāda(内的振動音)の静聴
があります。このようにして一点集中された心は、一つの場所に留まるのに適するようになります。その次にだーラナーを修めなければいけません。
(6)だーラナー dhāraṇā(一心集中)こ れは、でぃヤーナ(一心集中持続)に適した一カ所に心を定めることです。でぃヤーナに特に適した場所はハート(胸中心)とブラフマ・ランどラ brahma-randhra(頭頂中心)です。この場所にある8つ*の花弁の蓮華の真ん中に、ブラフマンなるアートマン、すなわち神が炎のように輝いて いると思いなさい。その次にでぃヤーナを修めなければいけません。
*8つの花弁は 125 の副花弁を持っているので、頭頂部の蓮華は千の花弁を持つとも言われる。
(7)でぃヤーナ dhyāna(一心集中持続):こ れは「私は神である」、つまり自分は上述の神の炎の本性と異ならないという思いを持ち続ける瞑想です。そのようにしてさらに「私とは?」というヴィチャー ラ vicāra(探求)をするなら、"至る所にましますブラフマンは全てに気づいている知性という観照者であるアートマンとして、すべての者のハートに輝い ている。"と聖典に明言されているように、人は「私 - 私」[= I am that I am.] としてハートに輝いている聖なるアートマンを現成するでしょう。この行ない方が最上のでぃヤーナです。
(8)サマーでぃ samādhi(一体一如):上述のでぃヤーナの成果として、心はでぃヤーナの対象に溶けこんで[対象と瞑想者と瞑想行為の三つが一体になって]しまい、‘私はこれこれであり’とか、‘私はこれこれをしている’とかの考え事がやんでしまいます。「私 - 私」の思いすら消えてしまうこの精妙な状態がサマーでぃです。眠りにおちいらないように気をつけて、これを毎日実修すれば、神は心の静けさの極致[=心の活動状態の停止・終止]を授けてくれるでしょう。

マハルシ解説のジニャーナヨーガ jñāna-yoga explained by ramaṇa-maharṣi


(問い)ジニャーナ(真智)の8部門はどういうものですか?
(答)ジニャーナの8部門は、すでに[ラージャ・ヨーガの8部門として]説明されたヤマ、ニヤマなどと同じものですが、その内容の定義は異なります。これらを説明しましょう。

(1)ヤマ yama(禁戒):これは、体などを構成している物質世界に存在している欠陥(限定)を理解し、感覚器官のすべてをコントロールすることです。
(2)ニヤマ niyama(勧戒):これは、真我を探求するよう心の活動を維持し、真我から遠のいてしまう心の活動を捨てることです。言葉をかえれば、それは至上の真我 Self に対して絶えることなく湧き上がる愛を持つことです。
(3)アーサナ āsana(坐法):ブラフマン(アートマン)を絶えず瞑想することで[真我に住することを]容易にするのが[ジニャーナ]のアーサナです。
(4)プラーナーヤーマ prāṇāyāma(調気法):レー チャカ recaka(出息)は世界や体を構成している客観対象から、名称と形態(名色。ナーマ・ルーパ nāma-rūpa)という二種の非実在 asat の現象的要素を除去することであり、プーラカ pūraka(入息)はそれらの客観対象に常住している真実在(サト)・意識(チト)・至福(アーナンダ)sat-cit-ānanda という三つの真実を把握することであり、クンばカ kumbhaka(保息)はそのようにして把握された上述の真実を維持することです。
(5)プラティヤーハーラ pratyāhāra(感覚制御):これは、除去された名称と形態(ナーマ・ルーパ)[という非実在の要素]が、再び心に入ってくるのを防ぐことです。
(6)だーラナー dharaṇā(一心集中):これは、心をハート(真我の居所、または人間存在の中心)に止どめ、そこから外へ迷い出ることなく、自分は真実在・意識・至福(サッチダーナンダ)という真我そのものであることを悟ることです。
(7)でぃヤーナ dhyāna(一心集中持続):これは、“私はただ純粋識である”という形式の瞑想(一心集中持続)です。つまり、5つの鞘(階層)から成る体を離れ、“私は誰か? Who am I? (ko'ham)”と探求し、その結果自己として輝く「ワタシ(和他私)」として止どまることです。
(8)サマーでぃ samādhi(一体一如):[自己として輝く]「わたし」の発現もまたやむ時、究極の直接体験が起きます。これがサマーでぃ(一体一如)[=不二一元の真実在]です。


ジニャーナヨーガ jñāna-yoga の8段階というのは、『ヨーガ・スートラ yoga-sūtra』のような経典があるわけではなく、ラマナマハルシ独自の説明と見るのが適切だろうが、ラマナマハルシの説明とあれこれの聖典の記述にはもちろん共通性がある。学者たちが種々の聖典・経典を典拠として論考を組み立てるのとは違い、ラマナマハルシの場合には解脱者としての真理の裏打ちが確固とした説明の根拠になっているので説得力がある。真説〜のような書物が時折出版されるが、解脱者でないのだから仮設(仮説)upacāra と題するほうがよかろう。中には解脱者と自称する物書きがいるが、解脱者は語録を他者が編纂することはあっても、めったに自著を刊行することは無い。ラマナマハルシは若干の教えを詩節として残したが、自然(じねん)の跡形であった。