2011年12月14日水曜日

『ばガヴァド・ギーター bhagavad-gītā』略解2 ガンジーの愛誦部


『ばガヴァド・ギーター bhagavad-gītā』略解2


ガンジーの愛誦部


エンギナンダ:クルシュウナイ様、『ばガヴァド・ギーター bhagavad-gītā』略解1というのを閲覧したのですが、42 というのは「死に」に通じて縁起がわるいので、別の数字の選集を私にお与えください。
クルシュウナイ:Who are you?
エンギナンダ:私はジャパンのある禅宗の海外布教師をしていて、縁起の説法者随一とされている者です。
クルシュウナイ:じゃあ、どうしてヨーガに関わるの?
エンギナンダ:ある時、マハルチンという方が私にラマナマハルシの "Who am I?" という本を送ってくれたのですが、それを読んでこれはマズイ、と思ったものですから。
クルシュウナイ:なんでマズイの?
エンギナンダ:そこに真理がありそうだからです。
クルシュウナイ:なんで真理がマズイの?
エンギナンダ:私の縁起の説法が否定されてしまうからです。
クルシュウナイ:へーえ。そのほうがいいじゃないの。
エンギナンダ:それでは何十年という自分の半生を否定することになり、これからの海外布教師としての人生も無くなってしまうからです。
クルシュウナイ:そのほうがスッキリしていいだろうねえ。
エンギナンダ:いえ、いけません。いけないのではありますが、真理の教えにまったく目をつむるのも心苦しいので、ヨーガのサイトをのぞいているうち、ヨーガハンシティのサイトが目につき、『ばガヴァド・ギーター bhagavad-gītā』略解1を拝見し、そこで説かれている教えを自分の知識に加えたいと願っているのです。どうか 42 ではない数字の選集をお願いします。
クルシュウナイ:それじゃあ、ガンジーが愛誦していたというこんなのでどう?

http://youtu.be/UspA-suE8WA

  • 2.54 アルジュナは 言った:
    智慧の人はどんなお方? 三昧者とはどんなお方? 覚者はどのように話して どう坐り行動するのか?
  • 2.55 聖師クリシナは言った:
    人が欲望捨てる時 心の底から洗いざらい 自己に自ら知足する 智慧の確立者と言わる
  • 2.56 苦においては心悩まず 楽において愛着なく 貪り・恐れ・怒りもなく 気づきに満ちた者は聖者
  • 2.57 あらゆる面で執着無く 幸・不幸に出会ったときも 喜んだり憎んだりせぬ その者の智慧は確立し
  • 2.58 人が収め取れるならば 四肢を引き込む亀みたく 感覚をその対象から その者の智慧は確立し
  • 2.59 対象は消え去り無くなる 断食者の感覚からは 味覚は例外と言えども 至高の照見者から消え
  • 2.60 感覚制御に努力する 智慧ある者でもかまわずに やっかいものの五感覚は 強引に心を連れ去る
  • 2.61 感覚をすべて制御して 和他私に専念するがよい 感覚を制御する者の その者の智慧は確立し
  • 2.62 対象に想い止める者に それらへの執着が生まれ 執着から欲望生まれ 欲望から怒り生まれる
  • 2.63 怒りから起こる混乱 混乱から記憶の散乱 記憶の散乱理性破壊 理性破壊から人破滅
  • 2.64 愛着も憎悪も無ければ 対象に感覚触れても 自己制御確立する者 心の静けさきっと得る
  • 2.65 静けさにすべての苦悩の 終止がその人訪れる 心の静かな者にすぐ 理性は確立されるもの
  • 2.66 理性は無い自制できねば 自制できねば正念無し 正念無ければ平和無く 平和無ければ幸いずこ?
  • 2.67 実にさ迷う感覚に 心が引きずられる時は そのとき判断智を奪う 風が舟連れ去るように
  • 2.68 だから人がアルジュナよ すべての面で引き上げれば 感覚をその対象から その者の智慧は確立し
  • 2.69 すべての生類の夜には 感覚制御者は目覚めて 生類が目覚めている時 それは聖者にとって夜
  • 2.70 満たされて不動に安定している 海の中に川の水が流れこむように そのようにあらゆる欲望がやってきても 聖者は静寂を保つ だが欲望を追う者は心騒ぐ
  • 2.71 すべての欲望捨てている 人は愛着無く行為 私有欲も自意識も無い その人寂静に達する
  • 2.72 これがブラフマンの境地 ここに至れば迷いは無い そこに決まれば死の時も ブラフマン寂静に達する
エンギナンダ:これですと 19、「いく…行く」、ふむ、よし、これで行きます。これから地震の無いオーストラリアに行って、坐禅の指導をしながら、ひそかにこの選集とラマナマハルシの教えを学びたいと思います。
クルシュウナイ:地震があると修行できないのかね?
エンギナンダ:地震は恐いですから、その心配のもっとも少ないオーストラリアに本拠を構え、そこで指導しながら修行しようと思います。
クルシュウナイ:修行してから指導するほうがよくはないかね?
エンギナンダ:はあ。それはごもっともかとは思いますが、そうしますといつ指導できるのかは不明になりますので。
クルシュウナイ:まず自分を指導するのが筋だがね。
エンギナンダ:はあ。まあ、そうもいきませんので、またオーストラリアから連絡させていただきます。
クルシュウナイ:連絡はいいから、まあしっかり修行することだね。
(オーストラリアからの国際電話)エンギナンダ:『ばガヴァド・ギーター bhagavad-gītā』では縁起の法をどのように説いているのですか?
クルシュウナイ:縁起(因縁)というのは現象 世界での法則で、現象源にはそのようなものは無い。真理とは現象世界の出来事ではなく、現象源真実在 sat (Self) ソノモノだけだよ。
エンギナンダ:2.72 のブラフマン寂静とはなんですか?
クルシュウナイ:仏教では究極のところをなんと言うのかね?
エンギナンダ:涅槃です。
クルシュウナイ:じゃあ、それだよ。ブラフマン 寂静 brahma-nirvāṇa も仏教の涅槃 nirvāṇa も同じだよ。
エンギナンダ:でも仏教とヨーガは別かと思いますが。
クルシュウナイ:真理は一つ、宗教宗派は多数さ。真理の覚智現成 Self-Realization を果たせばわかるよ。
エンギナンダ:どうすればよいのですか?
クルシュウナイ:坐禅しなさい。
エンギナンダ:坐禅はしてますが。
クルシュウナイ:覚触しなさい。
エンギナンダ:覚触もしてますが。
クルシュウナイ:たまにだろうね。ほとんど考え事をしてるんじゃないの?
エンギナンダ:耳が痛いです。
クルシュウナイ:痛くならないように、一瞬一瞬思いを手放せば?
エンギナンダ:そんな芸当は無理です。
クルシュウナイ:誰にとって無理なのかね?
エンギナンダ:坐禅者みんなにとってです。
クルシュウナイ:誰がそう言っているのかね?
エンギナンダ:まあ、私ですが。
クルシュウナイ:“私は誰か? Who am I? (ko'ham)”を探究しなさい。
エンギナンダ:どうするのですか?
クルシュウナイ:あなたはラマナマハルシの "Who am I?" を持っているでしょう?それに書いてあるよ。
エンギナンダ:そういえば前にマハルチンさんからいただいて、読んだことがあります。
クルシュウナイ:読むだけじゃだめで、聖典はそこにある教えをその通り実修しないと意味は無いよ。
エンギナンダ:じゃあ、もう一度読んでみます。また電話しますから。
クルシュウナイ:国際電話はいいから、ひたすら“私は誰か? Who am I?”に取り組みなさい。
エンギナンダ:これから摂心の指導をしますので、その後にやってみます。
クルシュウナイ:…………
(ということで、エンギナンダは縁起の説法やら坐禅指導とイチャツキ回り、教え回り、アタマのグルグル回りがやむことはなかったとか…)