2011年12月12日月曜日

みんなのギーター2章64節

bhagavad-gItA 2.64


[テキスト]




[解説]


2.63 で説明されているような、気が狂うようなことにならないためには、怒りなどを自分でおさえて、心を静かに、落ちつけないといけませんね。
  1. 対象に感覚で触れても:私たちの感覚は、ほとんどいつでも働いていますが、対象と感覚器官が触れて、感覚作用がおきたときに、心の状態に気づき、心を静かにしていられるかどうかが、問題です。
  2. 愛着も憎悪も無ければ自己制御に確立する者は:感覚作用がおきても、好き=愛着とか、嫌い=憎悪に気を取られなければ、自分で自分の心を自由にできるりっぱなひと=自己制御に確立する者なのですね。
  3. 心の静けさを[きっと]得る:りっぱなひと=自己制御に確立する者でも、感覚器官を持っていますし、対象と触れて感覚作用をおこします。でも、どんな感覚作用をおこしても、りっぱなひとは、いつでも心を静かにしていられるのですね。心が静かなことを、私たちは普通はありがたいとも思いませんが、おこってしまったり、悲しくなったりすると、心を静かにしていられることは、ほんとうにすばらしいことなのだとわかるのです。それはたとえば、空気のようなものですね。普通は、ありがたいともなんとも思っていないのに、無くなってしまうと、いちばん大切なものだとわかります。空気のありがたさに、いつも気づいていられるようにし、心の静けさのありがたさにも、いつも気づいていられるようにしましょう。



[参考]


無関心と無執着:おこってしまったのに気づかなかったり、気づいても怒りの爆発をおさえられないと、結局は不幸な事態におちいってしまいます。つぎの図式をよく見て、二つの方向のどちらを選んだらよいのか、冷静なときに熟考しておきましょう。

興味が無い=無関心

中立=無執着←気づき対象欲望→愛着=片寄り

恐れ→逃避

この図解から、対象に感覚で触れても愛着も憎悪も無ければ自己制御に確立することと、無関心などとの違いを理解してください。