2011年12月9日金曜日

みんなのギーター2章70節

bhagavad-gItA 2.70


[テキスト]




https://youtu.be/BV0UUvwKB9s

[解説]


  1. 満たされて不動に安定している海の中に:海には、川の水が流れこみますが、あふれたりしませんね。
  2. 川の水が流れこむように そのようにあらゆる欲望がやってきても:その海に、川の水が流れてくるように、私たちの心にも、色々な欲望が入ってきます。そして、気づきの無い人たちは、それらの欲望を追いかけて、もっともっとと、欲望をふやしてしまいます。
  3. 聖者は静寂を保つ:感覚という風にふかれても、心という舟が、しっかりつなぎとめられていれば、ゆれないで、静かにしていられますね。あるいは、大きな安定した舟なら、波が高くても、転覆しませんね。それと同じように、りっぱなひと=聖者の心には、いつでも静けさ=静寂があります。大きな海のような、広い静かな心、それがりっぱなひと=聖者の心です。
  4. だが欲望を追うものは心騒ぐ:それとは反対に,欲望を追いかける人は、心が落ちつかないで、高い波が、つぎつぎに起こるように、心騒ぐのです。皆さんは、雨や風で荒れ狂う海のような心を持ちたいですか? それとも、光り輝く静かな海のような心を持ちたいですか? 自分の心をどうしたいのか、よく考えてみましょう。



[参考]


大海の心:種から芽が出たばかりの頃は、小さな虫にも食べられてしまいかねませんが、大きな木に生長してしまえば、虫どころか、鳥たちのすみかにもなってしまいます。私たちも、成長していないうちは、感覚の色々な対象に食べられかねませんが、成熟した大人(だいにん)になれば、海がすべての河川を受け容れるように、この世の現象のすべてを受け容れて、平然としていることができるようになります。小さな種や、か弱い双葉が、どのようにして大木になったのでしょうか? 天地いっぱいのエネルギーを受け容れて、なのですね。受け容れるというのは、執着をもって取り込むとか、いやいや 0K するとかではありません。執着無く、平然と・淡々と受け容れるのです。毎日をそのように生きるなら、あなたはすでに大人なのです。大人と接する人々は、大木に憩う鳥たちのように、ほっとすることができます。