2011年12月9日金曜日

みんなのギーター2章69節

bhagavad-gItA 2.69


[テキスト]



[解説]


  1. すべての生類の夜には 感覚制御者は目覚めている:私たちが、目覚めていると思っているとき、なにを考え・なにを話し・なにをしているでしょうか? ハッキリとした気づき(=目覚め)をもって、考え・話し・行動しているでしょうか? 私たちは、感覚の誘惑に気を取られて行動したり、貪り(欲ばり)・恐れ・怒りや、悲しみに気を取られて、そういうことに気づかずに生きていないでしょうか? 目が覚めているときでも、気づきがなければ、それは目覚めのない夜(=すべての生類の夜)と同じです。気づいても、感覚の誘惑に負けたり、貪り(欲ばり)・恐れ・怒りや、悲しみから離れようとしなければ、それも目覚めのない夜と同じです。私たちは、太陽が出ていて明るいときに、目覚めていると思っていても、気づきが無かったり、ワガママから離れようとしないので、目覚めのない夜に生きているのですね。
  2. 生類が目覚めているとき それは一切照見の聖者にとっての夜である:目覚めのない夜(=すべての生類の夜)、私たち生類が目覚めていると思っているとき、それは、貪り(欲ばり)・恐れ・怒りや、悲しみの日中ですので、りっぱなひと=一切照見の聖者にとっての夜である、ということになります。このように、ハッキリとした気づき(=目覚め)のあるりっぱなひとと、気づき(=目覚め)のないワガママな人では、昼と夜が反対であるように、同じこの世界に生きているのに、反対の世界に生きている、というのです。



[参考]


気づきの目覚まし時計:朝に目覚まし時計でとび起きて、一日中走り回って、目覚めていると思っている寝ぼけ人生…貪り(欲ばり)・恐れ・怒りや、悲しみの一日は、目覚めのない夜にすぎないのです。そうすると、この 地球上では、何十億もの人々が、昼も夜も寝ぼけているだけ…なのですね。気づきの光明智が、地球の所どころに、ポッポッと灯っているだけで、宇宙に輝く青い宝石とも言われるこの地球も、見方を変えると、回転する寝ぼけ惑星かもしれません。しかし問題は、地球が青い宝石か寝ぼけ惑星かということではなく、自分が目覚めているか寝ぼけているか、です。息に気づき、体の状態と行動に気づき、感情・思考に気づき、執着無く今ここの本来の任務をいきいきと実行する、それが目覚めの世界です。