2011年12月5日月曜日

kriyat19 平和と幸福の14カ条(カルマ・ヨーガのモデル)

第 19 章 平和と幸福の14カ条
(カルマ・ヨーガのモデル)



http://youtu.be/N1SgrC2wuWk

[A 14カ条]



http://youtu.be/yDNNNi-6cd4

ティクナトハン先生の Interbeing という本があります。その中の 1〜14 までを“平和と幸福の 14 カ条”と題して、この章のテーマにします。これらは、ハン先生たちのティエプヒエン教団で戒律として守っている 14 カ条です。Precepts of interbeing (お互い様お蔭様の戒律)と言ってもいいでしょう。カルマ・ヨーガのモデルとして、たいへんよくできている戒律です。
  1. どのような教義をも偶像化しない
    ハン先生はここで、たとえ釈尊の教えであってもと言っています。ですからクリスチャンの方は、たとえ聖書に書いてあってもそれを偶像化しない。なぜなら 全体生命 Self だけが神 Self だからです。たとえばパウロが書いたことは、ある人たちに有効と思われることを説教した形として残っているわけです。みんなにそれが当てはまるわけではありません。偶像化は時として不要な禁止令をも作ってしまいます。ある時代状況のもとに必要だったことが残されたのです。全部の仏典を自分の禁止令として受けたら、これは窮屈な世界になってしまいます。先入観念を固定化してしまうと、“今ここ自由”に生きるのがむずかしくなるものです。これはよくよく気をつけないといけません。『ヨーガ・スートラ yoga-sUtra』に書いてあるから、『ばガヴァド・ギーター bhagavad-gItA』に書いてあるからといって、状況と関係なくいつでも 100 % 当てはめようとすると窮屈になります。
  2. 知識よりも生活の中に真実を見てとる
    本で読んだ知識ではなく、現実はどうか、真実とは何なのかと、自分が住んでいる世界の生(なま)の生活の中で見ていったらいいということです。
  3. 心の通った対話によって理解しあう
    これはとても大切なことですね。話すことによって心をお互いに通わせ、生きた夫婦関係・人間関係を保っていけるわけです。話すことがないから、話してもしょうがないから会話をしないと冷えていくでしょう?ですから特別話すことがなくても、何か共通のテーマを持ち出して、交流したらいいのです。
  4. 悲惨な現実を直視し共に生きる
    地球上で毎日4万人からの子供たちが餓死していると言われますね。東南アジアやアフリカ、その他の地域で。それを見たなら、ハン先生は自分の書いた本とか、オーディオテープとかの収入を全部それらにつぎこむわけです。プラムヴィレジというすばらしい拠点ができたので、自分の講演とかリトリートを主催して入ってきた収入は、全部そういう困った人たちを助けるために使っているわけです。彼は現実を直視して、それを共に生きているわけです。だからハン先生を尊敬しているなら、応援しなければいけないですから、ぼくのところに入ってきたお金で回せる分はそちらに回すわけです。共に生きるわけです。見て見ないふりというのはいけません。
  5. 簡素な生活をし余力を分かち与える
    なるべく簡素な生活をする。3千円の空き家に住んでいたころは、収入2〜3万円とか、無いときは全然無かったりで、多くてもせいぜい5〜6万円の生活をしていました。村営住宅に入って、家賃も1万8千円ぐらいになったので、生活費は二人で 10 万円と決めてやってきたのです。余った分はハン先生のところや S.R.F. その他に回して。
  6. 怒り・うらみではなく理解・慈愛を
    自分の気にくわないことに出会っても、どうして相手の人は怒ったのだろう、うらみを抱いているのだろうと、その人の幼時体験にまでさかのぼって理解してあげる気持ちを持つこと。理解してあげたなら慈愛が出てくるでしょう、ということです。理解は正見(しょうけん)です。慈愛は智慧ですね。
  7. 息の観察(アーナーパーナ・サティ)とマインフルネスを実践する
    ハン先生みたいに超多忙な人であっても、一週間に一度はマインフルネスの日を持たないと、エネルギーが枯渇(こかつ)してしまうからと、一週間に一度はマインフルネスの日をとって、そうして原稿を執筆したり、手紙の返事を書いたり、瞑想したりしておられるから、あのようにすばらしい仕事をできるわけです。忙しいから時間が無いというのは、逃げに過ぎません。大体忙しい人のほうがたくさん本を書いたり、たくさん仕事をしているのです。暇な人ほど本を読まないし、録音教材を聞かないし、ビデオも見ないし、修行しないし、だから暇なのでしょう。


  8. 不和をもたらす言葉をつつしむ
    わざわざ相手を刺激するような言葉を出す必要はないですね。夫婦でも何かおもしろくないことがあると、相手にネガティヴ(否定的・破壊的)な言葉を投げかけて、わざわざけんかするでしょう?田中牧師の本に、割算夫婦とか引算夫婦とかネガティヴな生き方が出てきますね。足し算から掛算夫婦にならないといけないと出ていますから、よくお読みください。夫婦関係だけでなく、どのような人間関係でも、そういう言葉をつつしんだほうがいいということですね。そういうことを言おうと思ったときには、既にそう考えているわけですから、自分が何を考えているかに気づいている人たちだけがストップできたり、表現を変えることができるのです。お話しを聞いていると、一分間に一度は‘〜ない’と否定形を出す人がいますね。否定形の言葉を多用している人は、それに気 づいて、‘〜したくない’ではなく、これしようかなと論理療法を応用して、別の表現を探す練習をするとよいのです。ない・ないと言っていたら、誰でも人生が暗くなりますよ。ですから‘〜したくない’と思ったら、では自分は何をしたいのかと考えて、ほかの可能性を見い出していったらいいのです。怖いとか‘〜したくない’というネガティヴな言葉を出すと、それがまた自分の耳から入ってチッタ citta(記憶脳)に入力されて、怖いとか‘〜したくない’というネガティヴな記憶が、ますますたまりますね。それが増長していきますから、どこかで変えなくてはいけません。
  9. 命をかけて真実を話す
    自分の主義主張を絶対に変えないというガンコはいけませんが、それは悪いことだと思ったら、自分の肉体生命が抹殺(まっさつ)されそうになっても真実を話すということを、ハン先生たちは守ってきました。おどされて、真実を曲げるようではいけないのです。肉体がたとえ抹殺されたとしても、命をかけて最後の瞬間まで真実に生きた人の第八アーラヤ識には、真実に生きるという記憶しか残らないわけです。そうすると次にそれが種として発現しますので、真実として発現するのです。命が欲しいからと真実を曲げた人は、曲げたという記憶が残って、また曲げるという生き方しか出てきません。ですから どんな人を前にしても、これは正しいと思ったら自分の意見を変えてはいけないのです。あっちでこう言う、こっちではこう言うというような二枚舌・両舌(りょうぜつ)はいけません。
  10. 共同体(社会)を私的に利用しない
  11. 人類と自然に有用な職業を選ぶ
    兵器産業に加わるよりも自然食品の産業に加わるとか、人類と自然に有用な職業を選ぶようにしたらいいでしょう。
  12. 殺生・戦争をしない/させない
    自分でもしないし、させないということですね。ある人たちは、アメリカにお金を使って戦争をさせたり、株を暴騰(ぼうとう)させたり暴落(ぼうらく)させたりして、それで利益を生じさせて世界を支配していると言われていますね。大国は、だいたい兵器産業で利益をあげています。
  13. 盗みをしない/させない
    盗みをしないし、またさせてもいけないから、自分の子供が盗みをしたらその手をひっぱたいたらいいのですね。ねこが魚を取ったら、その場でねこの鼻をすりむけるくらいこすってやると、次は取らないといいます。その時ムチをくれないとだめなのです。子供のためですから。アメとムチを併用して、シュ〜ンとしおれたら抱いてあげたらいいのです。ムチだけではだめです。子供をしかって泣いたなら、抱いてあげないといけない。そのへんは皆さん、おかあさんの経験があるからよくご存知でしょう。ムチだけでアメをもらっていない子は、ひがんで生きてしまいますね。過保護になると一人立ちできない。しかられるだけだと人を愛することを知らず、かたよった人間になってしまいます。
  14. 性行為と新生児の将来社会を熟慮(じゅくりょ)する
    これは産児制限のことを言っているのではなくて、ボートピープルたちが強姦されて、少女が自殺したり、身ごもったりとか、戦争があると必ず相手国の、特に弱い国の女性たちが妊娠するわけです。そうすると赤十字団が行って堕胎(だたい)手術をするのです。そういう悲惨なことが今も地球上で行なわれていて、今強姦されている人もいるわけですよ。今そういうことを楽しんでいる兵士たちもいるのですよ。彼らは、それによって新生児が生まれてきて、どういうツライ生活をしなきゃいけないかって何も考えてない。自分の性欲を満足させることしか考えてないわけです。男(オス)には大体そういう本能があるのです。
    よく考えてみれば、 自分の心も汚れている、伴侶の心も汚れている、セックスの遊びとしてできた子供。その子供の教育もきちんとしないとしたら、戦争ではなくても、新生児の将来社会を熟慮していないということですね。ぼくたちはその結果として生まれてきたわけです。皆さんもそうでしょう。まさか解脱の器となる肉体を作りましょうと、皆さんの両親がセックスしたわけではないでしょう?できてしまった以上、生まれてきた子の教育に心を尽くさなければいけないのです。教育と言っても 注入教育ではなく、その子が立派に一人立ちできるようにというお手伝いですね。全体生命が皆さんのおなかを借りて、子供を出してくれただけですから。その子が全体生命を覚智して、カルマ・ヨーガができるようにというお手伝いに過ぎないのです。自分ができなかったら、せめて子供が立派に修行できるようにとお手伝いしてあげないといけない。

http://youtu.be/GyK0K4Ov7dM

[B ガーター]


以上のことを、自分に善の熏習(くんじゅう)として取り入れていったらいいと思います。ハン先生が作られたモデルに従って、一つ一つ学んでいったらいいと思います。それには、息・思いが静かでないといけませんの で、マインフルネス(の一日)のために、ハン先生のガーターを出しておきます。これはハン先生の活動などを紹介する The Mindfulness Bell という一年に三度発行される雑誌にのっていたのですが、1991 年の春の講義とリトリートの時に、ハン先生がこのガーターを使うように提案されたものです。
  • In-Out(息をすって、息をはいて)
    Breathing in, I know that I am breathing in. 息をすって、私は息をすっていると気づく。know は覚知する、気づくといっしょです。 Breathing out, I know that I am breathing out. 息をはいて、私は息をはいていると気づく。ここは 息をすって 私は気づき 息をはいて また気づく と訳しました。
  • Flower-Fresh(花のようにフレッシュ)
    Breathing in, I see myself as a flower. 息をすって、私は自分を花とみなす。私は花のように美しいと感じるということです。Breathing out, I feel fresh. 息をはいて、私は花のように咲き薫(かお)る。花のようにフレッシュであると感じる。フレッシュでいいのですが、 花のように美しく咲いて、すばらしいかおりをまき散らすと感じ取れたなら、生き生きとしていると思うのです。ここは 息をすって 花のよう 息をはいて 咲きかおる と訳しました。
  • Mountain-Solid(山の堅固さ)
    Breathing in, I see myself as a mountain. 息をすって、私は自分を山のように不動であると見なす。Breathing out, I feel solid. 息をはいて、私は山のように不動と感じる。ここは 息をすって 山のよう 息をはいて 不動の私 と訳しました。
  • Water-Reflecting(水に映る)
    Breathing in, I see myself as still water. 水に光が映ったりしますね。息をすって、静かな水の面として私を見なすですから、波は静まりと訳しておきました。この場合には流れる川でも、それから池でも海でもいいのですが、とにかく水の面が静まっているということです。Breathing out, I reflect things as they are. 息をはいて、その静まった水の面に物事があるがままに映る。波が立っていたなら、ゆがんで映りますね。お月さんがゆがんで映りますが、静まった面になら、たとえ水たまりであっても丸いお月さんなら丸いまま、三日月なら三日月のまま、そのまま映りますね。ここで波と言っているのは、皆さんの心の波を言っているのです。心が波立ったら、世界があるがままに映らないのですね。ロープを見てヘビと思うとか、青を見て赤と思うとか、あれこれあるでしょう。先入観念があるとそのまま映らないのです。だれかが自分をただ見ているだけなのに、あいつはおれを恨んでいると思ったり、女の子がおかしくて笑っているのに、自分に気があるんだとカン違いしたり、あるがままに映らないのです。as they are ではないのです。as they are を真如(しんにょ)と仏教の方では言いますね。as they are をハン先生は suchness と言っています。そのように=あるがまま=真如です。 ここは 息をすって 波は静まり 息をはいて 映るまま と訳しました。
  • Space-Free(空間のように自由に)
    Breathing in, I see myself as space. 息をすって、私は自分を限りない空間と見なす。
    Breathing out, I feel free. 息をはいて、私は自由であると感じる。虚空(こくう)のように自由自在ということです。ここは 息をすって 虚空に成り 息をはいて 自由自在 と訳しました。
とてもすばらしいガーターですね。ハン先生の The Practice of Peace という2本組のテープがあり、その一番最初にこのガーターが出てきます。アメリカのバークレイの大ホールで講話したときに、息の観察の仕方から教えたのですね。何千人の聴衆を相手にしても、ハン先生はアーナーパーナ・サティを教えたり、話を聞いているだけで仏道修行の基本が全部わかるように、たいへんすばらしい講話をされるのです。聞いていると、ほんとうに心なごむようなオーディオテープですね。その1の一番最初にこれが出てくるのです……

息をすって 私は気づき 息をはいて また気づく
息をすって 花のよう 息をはいて 咲きかおる
息をすって 山のよう 息をはいて 不動の私
息をすって 波は静まり 息をはいて 映るまま
息をすって 虚空に成り 息をはいて 自由自在